質問(kさんの投稿)
質問があります。
この自毛植毛は日本ではまだ歴史が浅いと聞きました。先進国のアメリカで何年くらいの歴史があるのでしょうか?
素朴な疑問なのですが、ドナーを採取した際の傷跡が気になります。説明では「ドナー採取部分は抜けにくい部位であるため心配ない」というニュアンスでされていますが、
例えば30歳で自毛植毛手術をした方がいると仮定します。この方が70歳の年齢になった時にドナー採取の部分も抜けてしまったとします。この方の場合は70−30で40年のスパンが存在するわけです。
うまく言えないのですが、「本当に皆がドナー採取部分は将来(大きく言うと死ぬまで)大丈夫なのでしょうか?」年齢を重ねて行けば若くして薄毛になる人ならほとんどの人が人生の晩年は全体的に薄くなると思うのです。そう考えたら、「ドナー採取部分は安全だ」と謳うには医学的根拠というか統計などはあるのでしょうか?先に例に挙げた方の場合でさえ「ドナー採取部分は安全だ」という根拠として統計にするには40年の月日が必要です。そこで先進国のアメリカでは何年の歴史があるのかな?と疑問に思った次第です。
確かに60歳でこの手術を行えば10年のスパンとなるのですが、やはりこの手術を希望する年代層はもっと若い世代だと思うので、年配の方の統計が少ないのでは、そして若い世代の統計はまだ(ドナー採取部分が薄くなるかもしれないという)年齢が重ねられていないのでことらの方は統計として出せないのでは、と思ったのです。
変な質問ですみません。
教えていただけますか?
k
お返事
k様へのお返事
1800年代から脱毛の治療に皮膚移植が提案され、いろいろな手術方法が報告されてきました。わが国でも、1930年笹川医師、1939年奥田医師、1943年田村医師らが自毛移植の手術手技に関する優れた研究をしました。(これが日本の自毛移植術の始まりです。)しかし、戦争などの理由で、それらの成果は世界に知られることなく、埋もれてしまいました。その後1959年に米国のドクター・ノーマン・オレントライヒが奥田の研究を男性型脱毛症への手術治療法として発展させ、1970年以降に奥田・オレントライヒ法として世界に広がり、これが自毛植毛手術の幕開けになりました。初期の自毛移植はパンチ・グラフトと呼ばれ直径4〜5mm程度に頭皮を毛根ごとくり抜き、これを薄毛部位へ移植していました。結果としてパンチ・グラフトでは20〜30本の頭髪が束になって生えるので自然さに欠けるという難点がありました。1992年、ブラジルのドクター・ウェペルが小さくした移植株を1,000株以上移植するメガセッションを可能にしてから、飛躍的に自毛移植技術が進歩を遂げました。大きく変わったことは、移植株の大きさです。数10本単位の移植株だったのが、1本、2本、3本、4本と自然に生えている毛穴単位の移植になり、生え際なども自然に仕上がるようになりました。1993年、アメリカのダラスで初めて、国際毛髪外科学会が開催され、数千人規模の学会となり、自毛移植という医療技術が世界的に注目されるようになりました。これを機に優れた移植技術や移植器具が次々と考案され、米国内での手術件数も年間に20万件程度だったのが、86万件にまで急激に増えたと報告されています。
我々は、ドナー採取部は生涯男性型脱毛症を生じない領域、Ungerの“Safe Donor Area”と言う安全なドナー領域がありその範囲内で採取しています。また、このような毛髪外科の学問的調査は約40年されています。その中で色々報告され、この自毛移植術の方法が検討されていますので御安心下さい。
医師 富永